生体構造学教室教授就任にあたって (「鉄門だより」2009年9月号より転載)

516日付けで生体構造学分野の教授に就任いたしましたので、ご挨拶を申し上げます。当教室は、解剖学・組織学の教育を担当する四講座の一つで、他の三講座と共同して解剖・組織の学部生教育にあたります。研究面では鞭毛・繊毛の「かたち」を定量的に解析することを中心に細胞生物学の研究を進めていきたいと考えております。

卒業後のあゆみ

 わたしは、1992年に東京大学 医学部を卒業し、すぐに解剖学教室の廣川信隆先生の元で大学院生として研究を始めました。当時は分子生物学が広く行き渡り、様々な生体分子の遺伝子がクローニングされていました。廣川研究室でもPCRを使って、細胞骨格である微小管上を動き、神経軸索内などで輸送を担っているモーター分子であるキネシンファミリータンパク質(KIFs)の遺伝子がぞくぞくと見つかってきていました。

 しかし、遺伝子からタンパク質のアミノ酸配列がわかっても、教科書の図には相変わらず生体分子が丸や四角で模式的に描かれていました。なぜならタンパク質のアミノ酸配列からその三次元構造を予測することは現在に至るまで非常に難しいからです。そこで、原子レベルで生体分子を「見て」理解したいと考え、
クライオ電子顕微鏡という方法を試してみることにしました。この方法は、試料を化学的に固定したり染色したりせずに、-180°Cに急速凍結し、凍結したまま電子顕微鏡の中で観察する方法です。電子顕微鏡で得られる画像は、非常にコントラストが低いので、コンピュータによる画像処理で数万から数十万の分子の画像を平均化し、三次元の構造を得ます。この方法でキネシンと微小管の複合体の構造を観察し、モーター分子がどのようにしてATPの化学エネルギーを運動エネルギーに変換して微小管上を動くのかという疑問に答えてきました。

 この廣川研究室での一連の仕事を評価して頂き、
2001年には米国のテキサス大学サウスウェスタン医科大学で、助教授として独立した研究室を持たせて頂きました。米国でのポスドクとしての経験無しに研究室を持つ事への不安はありましたが、Chairman(主任教授)や同僚の教授達がメンターとなってグラントの書き方や研究室運営のコツなどを教えてくれたお陰で、六年の間には NIHHFSP を含むグラントを獲得し、論文も九本出すことが出来ました。その後、2007年4月より、京都大学理学部で NEDO 特別講座で特任教授として二年間を過ごし、このたび東京大学に戻ってくることになりました。

 研究面では、独立を機会に研究の対象を徐々にキネシン分子からダイニン分子に移してきました。このダイニンというモーター分子は、非常に大きいだけでなく他の多くの分子と共同して、
軸糸(鞭毛や繊毛の中心)という細胞内小器官を形成します。この鞭毛/繊毛は、さまざまな生命現象・病気に関わる非常に重要な細胞内小器官であることが最近明らかになってきました。例えば、繊毛運動の障害によってカルタゲナー症候群が起こりますし、水流センサーとして働いている腎臓の上皮細胞の繊毛の障害では多発性嚢胞腎が起こります。従って、鞭毛・繊毛の構造と機能を理解することは生物の仕組みや病気のメカニズムを理解する上でも重要になってきています。しかし、その複雑な構造のために最近まであまり研究が進んでいませんでした。

今後の抱負

 解剖学・組織学というと古い学問に聞こえますが、形態学、つまり「かたちを見る」という学問は現在急速に進歩しつつありエキサイティングな分野です。はやりの言葉に置き換えれば「イメージング」でしょうか。我々の研究室でも、クライオ電子顕微鏡の画像から三次元の構造を再構成する新しい手法を幾つか開発してきました。こうした方法は、コンピュータによる大量のデータ処理が欠かせません。その意味で現在の形態学は、医学・物理学・情報科学などを駆使した定量的な科学に変貌しつつあります。

 今後、我々の研究室では鞭毛や繊毛といった医学的にも非常に重要な細胞内小器官のメカニズムの解明のために、「かたちを見ること」を中心に学問の枠にとらわれず研究を進めていきたいと考えています。